東京高等裁判所 昭和40年(ラ)185号 決定
本件記録編綴の調停調書正本の記載によれば、債務者(抗告人)広田初枝と相手方武内高三郎、利害関係人武内奥三郎外一名との間の横浜区裁判所昭和一五年(人)第一五号財産贈与調停事件において同年六月三日成立の調停により、利害関係人武内奥三郎は債務者(抗告人)初枝に対し横浜市港北区南綱島町字別所耕地六三三番地宅地一六四坪二合一勺を同年六月一日から賃貸し、初枝が賃料の支払を怠ること六回分に達するときは催告を要しないで賃貸借契約は解除されること、この場合には初枝は右地上に存在する建物その他一切の工作物を自費で収去し直ちに土地の明渡をすること等を約束したが、債権者大藪毅は奥三郎の承継人として右調停調書の承継執行文の付与を受け、右調停条項に基ずき抗告人において右地上建物の収去義務ありとして別紙目録記載の建物について収去命令を申請したところ、原裁判所は、右建物に対し前記収去命令を発したことが認められる。そして右調書と記録編綴の登記簿謄本との記載によれば、右建物は昭和一二年六月一一日武内高三郎のため保存登記され、次で昭和一四年九月一五日抗告人名義に所有権取得登記が経由されているので、右調停成立当時存在していたと推認される。ところが調停調書(六項の5)には「地上ニ存在スル建物」を収去し土地の明渡をなすことと記載されているに止まり、収去の対象となるべき建物の具体的表示がなされていないので、建物の収去に関する債務名義としては、その建物の特定を欠いているために効力がないように考えられないではない。
しかしながら調停調書に基ずく債務名義の効力は、調停条項の全文と調停によつて解決された紛争の対象である建物の登記簿謄本等当事者の拠るべき意思が明白な資料を総合参酌してこれを定めるのが相当であると解すべきところ、前記調停調書と登記簿謄本との記載によれば、右調停において抗告人は相手方武内高三郎との内縁関係の解消と財産関係の紛争を解決したものであるが、抗告人は高三郎から本件収去命令の目的建物(この建物の所有名義がこれより先抗告人に移転していることは、前記のとおり)の存在する横浜市港北区南綱島町六三三番地上にある屋号洗心楼における営業権を電話加入権その他の動産と共に譲渡を受けたこと(一、二、三号)、高三郎は洗心楼につき設定した債権者株式会社日本勧業銀行に対する債権額二五〇〇円の抵当権(但し他の不動産と共同担保の目的となつている)の被担保債権弁済をなし、みぎ抵当権の抹消登記手続をすること(五号)利害関係人武内奥三郎は抗告人に対し右土地を洗心楼の所有を目的として賃貸したこと(六号)などを合意したものであること、一方右地上にある本件収去命令の目的建物には右抵当権に符合する抵当権設定登記があり、この登記が右調停成立後間もない昭和一五年九月一二日抹消登記されていることが認められるので、右事実から推すときは、右調停において契約当事者は本件土地を洗心楼その他の建物の所有を目的として賃貸したものであるが、この賃貸借契約が解除されたときは、賃借人は右地上の洗心楼その他の建物の収去を約束したものであつて、調停条項六の5はこの趣旨を表現したものであり、また本件収去命令の目的建物が洗心楼(他の付属建物を含む。)であることを認めるに難くない。してみれば、調停条項六の5それ自体に収去の目的である建物について具体的の表示がなされていなくても、そこに「地上ニ存在スル建物」とは、洗心楼と付属建物を指示するものであることは、調停調書の全文において明らかであるというべきであり、かつ本件収去命令の目的建物が洗心楼(但し調停当時の名称、他に付属建物を含む)である以上、右調停条項に収去の目的建物の表示が具体的でないとの理由により特定を欠き、債務名義として不適法であるというべきではない。
(中西 西川 秦)